■進学校から料理の道へ
>勉強、わからん過ぎた(涙)
宮原高校という、広島県呉市内の公立高校では一番の進学校に入学しました。授業のレベルが高くて勉強分からな過ぎて、高校2年生で既に大学進学を諦めました(笑)自分の中で自然に"美容師か調理師"の2択になって、多少興味のあった"料理の道"に進んでみた。こんなフワフワした感じで料理の道へ・・・
>「本当に辛かった」でも財産になった"社会勉強"
高卒で"㈱半兵衛庭園"へ入社。洗い物や盛り付け手伝いなどの下積み修行から始まり、揚げ物、焼き物、刺身、包丁使いを学びました。今振り返ると、ここでの一番の収穫は"社会勉強"でした。新社会人として、料理の世界の"厳しい縦社会"を経験したことは、自分の人生の糧となっています。が、断じて二度と戻りたくはありません(笑)「本当に辛かった・・・」
■アメリカでの農業研修~メキシコ料理と運命の出会い~
>「アメリカに行ってみたい」そう思ったから行ってみた
"半兵衛"を退職して将来について悩みました。料理とは関係なく、漠然と「アメリカに行ってみたい」という思いがあった。悩んでも解決しない。新しい環境に自分を置いてリセットしようと、"アメリカ行き"を決意しました。「どうせ行くなら長く」と思い、国際農業者交流協会の"米国二年制派遣制度"に応募して、渡米しました。
>世界一美味しい!アメリカで出会った"メキシコ料理"
始めはワシントン州の大学で語学学習でした。そして数人のグループに分かれて、カリフォルニア州提携農場での短期農業実習。その後オレゴン州の農場へ配置されました。アメリカの西側の農場って、メキシコ人ばかりだった。そこでメキシコ人達がふるまってくれた料理がうまいのなんの。タコス全般、揚げたタコスみたいなケサディージャ、タコスの煮物?エンチラーダ、アボガドを使ったワカモーレ、カレーみたいなモーレ・・・今でもメキシコ料理は一番おいしいと思っています。アメリカの農業実習で、なぜか"メキシコ料理"に夢中になった(笑)
>決めた!「メキシコへ行く!」
帰国後、日本にある"メキシコ料理屋"をリサーチしました。ほとんどのお店が関東にあったので、東京へ。店回りをする中で"本物のメキシコ料理!"と思える店、代官山の"ラ・カシータ"を発見しました。そこのオーナーと直接話をして「メキシコ行きを決意!」したんです。
■メキシコ料理探求の旅、いざメキシコへ!
>食べ歩きinメキシコ
初めはメキシコシティーに住んでいた、アメリカ農業研修の大先輩宅に住まわせてもらいました。仕事を手伝いながら、メキシコ料理食べ歩き。その後、グナファト在住の日本人を紹介してもらい、移動。近所のメキシコ料理店の仕事を手伝わせてもらいました。その家には日本語が殆ど話せない子供が4人いて、すごく仲良くなった。一緒に色んなところに食べに行ったし、めっちゃ遊んで楽しかった!料理の勉強というより"食べ歩きの半年間"を過ごしました。
>メキシコ料理店へのハードル
メキシコ料理店をやりたい気持ちはあったけど、メキシコ料理を作るには、本国から仕入れないといけない物が多すぎた。仕入れコストが高過ぎて、お店での客単価が1万円くらいになるんです。東京では許される価格設定かもしれないけど、広島では・・・とりあえず断念しました。将来的には"Shin屋"のメニューに"メキシコテイスト"を吹き込みたいという気持ちはあります。
■「いつか自分の店を」牛角での経営勉強
>"利益"を出す難しさ
アメリカ、メキシコから帰国後は、断固たる決意をもって進める進路がイマイチ見い出せなかった。ただ「いつか自分の店を」という思いはあったので「成功している会社で経営を勉強してみよう」と"牛角"へ入社。その時期"牛角"は急激に成長していて、飲食業界で伸び率NO.1だった。"牛角"で学んだ事は、"数字の厳しさ"と"儲けの仕組み"。これだけ繁盛していて、利益はこんなに厳しい数字なのかと驚いた。
>イメージ維持と経費削減の間で・・・
焼肉屋=汚い、煙たい、といったイメージを一新させようとしていた"牛角"。オシャレな店舗作り、徹底されたサービスマニュアル、常にキレイな状態の客席、客を待たせないレスポンスなど。それを実現する為に過剰な数のスタッフを配置する・・・経費削減を考える日々でした。ここで勉強したことは、"Shin屋"の運営ポリシーになっているかもしれません。「Shin屋は府中町界隈で一番キレイにしている自信があります!」
■"Shin屋"のモデル"ひびき"との出会い
>実務を学んだ「お店経営の教科書」
牛角を退社後は、僕の地元江田島にある"食彩居酒屋ひびき"へ。カウンター席と座敷で25席くらいのお店で"Shin屋の基本モデル"となりました。半兵衛、牛角も飲食業の基本勉強になったけど、現実的な規模ではなかった。"ひびき"では調理、接客、宴会も経験して、今の仕事内容に近かった。ただ、"ひびき"の店長が立っていた位置に、自分が立ってみて初めて分かることが"想像以上に大きい"です。
>"Shin屋名物メニュー"誕生秘話
"ひびき"からはメニューも影響を受けています。"Shin屋"に来たらこれ!の名物メニュー「あなごぼうスティック」の原型は"ひびき"にありました。"衣の中に刻んだ穴子を混ぜてごぼうを揚げたもの"が"ひびき"のメニュー。僕は穴子感をもっと強くしたいと思い"ごぼうで穴子を挟み込んで揚げる"ようにアレンジしたものが"Shin屋"の"あなごぼうスティック"です。もちろん、お師匠の許可はいただいております(笑)今でもメニューを考える時は、"ひびき"のメニューやレシピをよく参考にしてます。「こんなお店にしたい」と一番意識している気がします。
■自動車整備会社での勤務時代
>「将来を考えて」料理以外の道へ
いい歳になり、将来の事も考えて「夜の仕事は卒業しよう」と思い、江田島から脱出して府中町へ。アルバイト経験のあった自動車整備士の仕事を始めました。やるからには本気でやらねばと、最短で"2級整備士免許"を取得し、入社1年で整備リーダー、5年で社内NO.2の立場になりました。やるからには全力投球(笑)エンジンを治すとか、目指す完成形は決まっているのが整備士の仕事。無限に完成形が存在する料理の世界とは違った魅力がありました。
>「いつか自分の店を」が紆余曲折してたどり着いた答でした
プライベートで色々と悩むこともあり、自動車整備会社を辞めました。その後、約半年間は全く何もしていません。望んで何もしていません。年齢的にもいよいよ「しっかりと進路を固めなければ」とじっくり、ゆっくり考えていました。そしてたどり着いた答えは「いつか自分の店を」という所だった。
■夢だった"自分の店"オープン
>「悩んだら行動する」
きっかけは色々だけど"自分の店を始める"ことに思いが行き着いた。単純に「これやっとかんと、いつか絶対後悔する」って感じで。何となくではあるけれど、"ずっと頭の中にあった思い"だった。「失敗しても納得する!」と自分に言い聞かせて始動しました。僕は基本「悩んだら行動するタイプ」だと思われます(笑)
>「一目惚れ」物件との出会い
最初は地元で店を開く予定で、物件も探してました。"Shin屋"の近所の美容院で「江田島に戻って店を始めようかと思う」という話をオーナーにしてて、"今の"Shin屋"の前の店が閉店する"という情報を知った彼が、僕に連絡をくれたんです。その頃には「江田島で店を出す」という思いが固まって来てたので、乗り気じゃなかった。せっかく声をかけてくれたから話くらいは、とオーナーの顔を立てるつもりで店舗を見せてもらうと、なんというか・・・「一目惚れ?」だったのかな。あまりにも"自分のイメージしていた店舗像"に近くて唖然とした。江田島でイメージに合う物件探しに苦戦してたし「まさかの即決!」運命は決まった!そんなこんなで2014年1月8日、めでたく"Shin屋"オープンに漕ぎつけました。
>「人との触れ合い」が至極の時
「日々色んな人と触れ合えること」それがShin屋での一番の楽しみだし、そう思えることが本当に幸せだと思う。僕は正直"根っからの料理人ではない"と思う。料理一筋何十年って人にはなれないし、なりたいとも思わない。それより「人と触れ合う楽しさ」のほうが断然大きい。他のお店で働いてた時は感じたことの無い感情で"自分の店"だからこそ得られる何かなんだろうね。料理も「お客さんが喜んでくれそうな物を提供したい」その一心でやっています。
>夢
今後の人生の中で死ぬまでに、自分が少しでも「やりたい」と感じる事は、できる限りやりたい。何でもかんでも。それが夢。"Shin屋"いつまであるか分からないですよ、来るなら今!(笑)